9月26日(日)、大阪の天満橋にあるOMMビルで開催された、第9回文学フリマ大阪に行ってきた。文学フリマとは、全国各地で開かれている文学に特化した同人誌即売会であり、大阪では毎年9月ごろに開催されている。僕が文フリ大阪に足を運ぶのは、5年連続5回目である。



 これまでにも何度か書いている通り、僕は現在、彩ふ読書会のメンバーと同人誌を制作している。この同人誌は、11月に行われる東京の文学フリマでお披露目する予定だ。今回文学フリマ大阪に向かったのは、自分たちの出店に先立って文フリ会場の様子を確かめておこうと思ったからである。

 そんなわけで、天満橋に着くまでの間、僕は未来の出店者モードになっていて、会場を回ってみて目を引くブースはどういうものか、ブースごとのコロナ対策はどんな風になっているのかなどをチェックしようという意識が強かった。しかし、いざ会場に入ると、そんな意識はどこかへ消えてしまった。後になって当初の目的を思い出し、慌てて会場を回り直す羽目になるほど、僕は純粋に一参加者として、文フリの雰囲気を味わっていた。

 この探訪記も、未来の出店者の目線は封印して、一人の来場者の目線で書いていこうと思う。あまりダラダラ書いても仕方がないので、今回買った本の話を中心に進めることにしよう。もっとも、僕はまだどの本も読んでいないので、これから書くのは、幾つかの本との出会いの物語になる。

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◆1.『神戸エルマール文学賞 第13回受賞作品集』(神戸エルマール文学賞基金委員会)

 僕は文学フリマに行く時、下調べなどまるでせず、とりあえず会場へ向かう。そして中に入ると、まず全てのブースの前を通るように全体をぐるりと回る。その際に気になるブースをチェックし、後から近付いていくのである。

 神戸エルマール文学賞のブースは、今回の会場の中でとりわけ目を引くものだった。

「近畿圏内で発行された同人誌を対象にした文学賞を実施しています」

 ブースの前にはそんな説明書きがあった。「何だって!?」と思わず二度見した。まがいなりにも文章を書いている人間として、「文学賞」という言葉には、どうしようもない憧れがある。それは僕だけではなく、最近もある読書会メンバーが文学賞への憧れをブログで表明したばかりだった。「この情報は放っておけない!」と僕は思った。

 僕が向かった時、ブースには女性の方が2人いた。どちらも文学賞の運営に携わっている方だった。文学賞に興味があることを素直に話すと、応募の方法や賞の成り立ちなどについて丁寧に説明してくださった。発行所が近畿圏内だとわかるように連絡先が書かれていれば、同人誌を1冊送るだけで応募できるということ。同人誌で発表した結果他の場所に出せなくなってしまった作品に、脚光を当てようという思いで運営されていること……

 文学フリマへの出店は初めてのことらしい。賞のことをもっと広く知って欲しいというのがきっかけだったそうだが、既に何人かの方が「次があったら応募します!」と声を掛けていったという。「そうでしょうとも!」と思う。僕らが話している間にも、隣で足を止めて資料に見入る人の姿があった。

 色んな話を聞かせていただいたので、そのまま本を1冊買うことにした。各回の受賞作をまとめた作品集が何種類もあったので、どれにしようか迷ってしまう。受賞作のタイトルをまとめた一覧表をもとに、一番気になるものを直感で選ぶことにした。僕は本屋でもしばしばタイトル買いをする。こういう博打は嫌いじゃない。

 そして選んだのが、第13回の受賞作品集だった。「桜の絵を描く男」という作品が気になったのが決め手だった。

「それを書いたのは87歳の方なんですよ」

 会計をしている間に、そんなことを教えていただいた。僕はすごいなあと思った。幾つになっても表現欲を持ち続けられるなんて素敵なことである。ましてその方には、創作欲まであるのだ。


◆2.『関西魂 錫』(関西作家志望者集う会)

 先に、文学フリマで買う本は会場に着いてから決めると書いた。しかし、この文学フリマ大阪に来る時には1つだけ必ず買うと決めている本がある。それがこの、関西作家志望者集う会さんが出されている『関西魂(かにたま)』シリーズである。4年前、初めて文学フリマ大阪に行った時、ブースの前で本を眺めているうちに色々話し掛けていただき、おススメされた「恋」の巻を手に取った。帰ってから読んでみると、どの作品も面白くて一気にハマったものだった。あの時『関西魂』に出会ってなければ、その後何度も文学フリマに足を運ぶことはなかったと思う。

 ブースの前で足を止めると、「関西を舞台にした短編小説集を出しています」と、当たり前なのだけれど、初めての方向けの説明があった。これはちゃんと打ち明けておこうと思い、「あの、実は何年か前から毎年買いに来てるんです」と言うと、「それはどうもどうも……」と丁寧にお辞儀されてしまって、得意なような恥ずかしいよう気持ちになった。

 今回は新刊が2冊出ていた。昨年お披露目できなかったという「SF号」と、今年、10周年・10作品目を記念して出された「錫(すず)」である。どちらも気になったが、遅読派だから1冊ずつ買うことにしようと思い、目次を見て豪華そうだった記念号「錫」の方を選んだ。ちなみに、サブタイトルの「錫」は結婚10年目を祝う「錫婚式」から取ったそうだ。

 ブースにいたのは男性の方と女性の方1人ずつだった。僕が本を選んでいる間、男性の方はずっとリモコンらしきものを操作していた。よく見ると、机の上にロボットがいて、リモコンの指示に従って手を上げ下げしている。その手には、「関西作家志望者集う会」「関西魂発売中!」と書かれた旗が1本ずつ握られていた。スローモーなロボットの挙動は、何とも愛くるしかった。

 「この子は初めて見ますね」と言うと、「うちの新メンバーです」と答えが返って来た。そのちょっとしたユーモアが、何だか嬉しかった。


◆3.『16日間の日記 29日間の日記』(たぶんたぶん倶楽部)

 僕は自分のことを日記書きだと思っている。書いた文章について誰かに説明する時に、ブログと言ったりエッセイと言ったりすることがあるけれど、自分にとって最もしっくりくる言葉を探すなら、間違いなく「日記」だ。

 そんなわけで、僕は日記と名の付くものに弱いところがある。だからだろう、会場をぐるぐる回っていて「日記」と表書きされた本を見た瞬間、引き寄せられるようにブースの前に立っていた。

 この本は、書店や出版社など本に関係する仕事に就いている4人の人たちが何の気なく始めたリレー日記を1冊にまとめたものだという。リレー日記をつけていたのは、1回目の緊急事態宣言が出ていた頃の16日間と、宣言が解除されて迎えた夏の初めの頃の29日間だ。「4人全く違う生活をしているのに、どこかシンクロする部分があったりするのと、何気ない日常描写の中に世相が反映されているのがわかるのが、この本の見どころですね」ブースにいた男性の方は、そう話していた。

 この本に収められた日記は、2つの点で、僕が思っていたそれとは違うものだった。1つは、上述の通りリレー日記であり書き手が複数いる点。そしてもう1つは、1日分が2分の1ページに収まる非常に短い日記である点だ。リレー日記を始める時、1日分の上限は250字に設定したのだという。「制約がある方がだらだら書かなくて済むし、書きたいことがはっきりしていいと思ったんですよね」ということらしい。とかく冗長な日記を書きがちな僕には耳の痛い話だ、というのはともかく、一口に日記と言っても、書き方や紡ぎ方に様々なバリエーションがあるとわかったのは、とても意味のあることだった。

 本をめくってみると、中の紙が途中で変わっていることに気が付いた。最初の16日と後の29日との間に空白の期間があること、それぞれの期間は社会情勢も大きく異なっていたことなどから、敢えて紙を分けたそうだ。そのこだわりも素敵である。


◆4.『うろん紀行』(わかしょ文庫)

 この本で最初に目に留まったのは、帯の言葉だった。

「人はなぜ小説を書くのだろう。なぜ小説を読むのだろう。」

 つくづく僕という人間は、「書く」「読む」という言葉に弱い。書くと読むの周辺は、僕にとってキラーワード・ワールドなのではないかと思う。その弱さに辟易とすることもしばしばある。だが、文フリの会場にいる間は、自分に呆れるのをやめて、感情に素直に従うことにした。

 手に取って目次を見てみると、この本にはもう1つ、僕の心に刺さる要素があった。タイトルが示す通り、この本は紀行文なのである。全体は15の章からなるが、どの章の題名も東京近辺の地名になっており、その横に、本のタイトルが1つずつ副題のように添えられている。作者であるわかしょ文庫さんは、それぞれの場所に本を持って行き、読んだ時の話を書き綴っていったそうだ。その場所に関係のある本だったり、特に関係なく思い付きで持って行った本だったり、セレクトはその時々で違うらしい。どちらにせよ、旅先で綴られる文章は、本のことや、本を読んでいる自分自身のことを問い直し、掘り下げるようなものになっているという。

 既に色々書いてきたが、僕がこの本を買ったのは、帯の言葉のためでもなければ紀行文であるというためでもない。決め手になったのは、この本の成り立ちだった。

 会場でこの本を売っていたのは、作者であるわかしょ文庫さんではなく、代わりに読む人さんという方だった。そして、この本を作ったのも、代わりに読む人さんだという。数年前、東京の文学フリマを訪れていた代わりに読む人さんは、わかしょ文庫さんの文章に出会い一目惚れした。そこでわかしょ文庫さんに「本を作りませんか」と話を持ち掛けたそうだ。わかしょ文庫さんが文章を書き、代わりに読む人さんがそれを1冊の本にまとめる。『うろん紀行』という本は、そうやって出来上がった。代わりに読む人さんは自身でも本を出しているが、『うろん紀行』は言わば人から預かった作品である。それを形にする際には、自分の作品以上に力を注いだそうだ。

 なんて素敵な話だろう。そんないきさつで生まれる本があるものなのか。自分で作った本でも、自分たちで作った本でもなく、自分が惚れ込んだ誰かの作品を預かって形にして世に送り出す。そうして出来た本に、僕は今こうして出会ったのだ……それは言葉にならないくらい素晴らしいことのように思えた。

 そこから先の行動については、もう言葉にする必要はあるまい。


◆5.『言ったことのない名言』(岸田奈美)

 僕は基本的にアンチミーハーで生きている。しかしそれは、ただ多勢に流されるのを潔しとしないだけであって、確たる理由あってのことではない。だから、いざ目の前に名前をよく知っている人が現れた時、思わずざわつく心に対処する術を、僕は知らない。

 会場を回っていて岸田奈美さんの名前を見かけた時、僕は「ぬほっ!」となった。Twitterで頻繁に名前を見かける方に、こんなところで会うことができるとは、思ってもみなかったのだ。果たして心がざわつく。一瞬「いや待て」と思う。しかしここは、そのざわつきに身を任せようと思い直した。

 だが、岸田さんのブースにはいつ見ても人だかりができていた。僕は天井知らずの見栄っ張りなので、降って湧いたミーハー心だけで列に並ぶということが恥ずかしくてできない。暫く様子を伺い、だいぶ人が減ったタイミングを見計らって、やっとブースの前に向かった。

 先に来ていたお客さんは、随分熱心に岸田さんと話をしていた。「NHKの番組に出ていたの見ましたよ~」と言い、その時の裏話などに耳を傾けている。

 なんもしらねー!

 僕はわなわなと震え出した。この流れで「Twitterでよく名前をお見かけしてます!」なんて言えるわけがない。ニワカもいいところじゃないか。そうは言っても、もう後には引き返せない。それに、どれだけニワカだろうと、関心を持ったことにウソはない。僕は必死に「自然体で行け!」と自分に言い聞かせた。もっともそれは、震えたまま前へ進めという呪いでもあった。

 僕が本を手に取っている間にも、取り置きをお願いしていたという方がやって来て、弾んだ調子で言葉を交わし、何冊も本を買って行った。ますます肩身が狭くなる。長くいるだけ心臓に悪いと思った僕は、立ち読みを切り上げて「1冊お願いします」と言った。

「こちらには何か知ってて来られたんですか?」岸田さんから話し掛けられた。

「いや、あの、大変お恥ずかしい限りなんですが、Twitterでしばしば名前をお見かけしていたもので……」

「あーそうですよねえ。変なタイミングでひょっこり出てくるんですよね私」

「いえいえそんな……」

 岸田さんは困った表情1つせず、冗談を挟みながらてきぱきと裏表紙にサインを書き、本を差し出した。やっぱり名前の通っている方は違うのだなあと僕は思った。

     ◇

 5冊の本を買ったところで、僕は文学フリマの会場を後にした。ずっと立ちっぱなしで疲れたので、ビルの地下にあるサンマルクカフェへ直行して一息ついた。

 会場での出来事を色々思い返してみる。すると、「本には物語がある」という言葉が自然と頭に浮かんで来た。

 もちろんそれは、本の中に物語が書かれているということではない。1つの本が生まれるところ。誰かが文章を書き、それを本という形にまとめるところ。その本に誰かが出会い、手に取り、ページを開くところ。そこには何らかの物語があるということだ。おそらくそれは、どの本についても同じように言えることだろう。けれど、書店で本を買うだけでは、僕はそこまで意識できない。完成されたシステムの中で、思いを漂白され、ただの商品になった本を受け取ることしかできない。

 しかし、文学フリマにおいては違う。ここでは、本は誰かが色んな思いを込めて、あれこれ工夫を凝らして作っているものであるということがよくわかる。そして、数ある本の中から限られた数冊に出会うまでには、色んな理由や偶然があることをしみじみと感じる。その感覚はちょうど、とても面白い本を読んだ後の幸せな気分に似ている。ページをめくる前から、僕はこれらの本のことを好きになっていた。

 アイスココアのグラスが氷を残して空になる。僕は「よし!」と席を立って、谷町線の駅の方へと歩いて行った。

(9月30日)