先日「ただの日記」を書いたことで、その日の出来事を順番に書いていけば、とりあえず文章が1つ仕上がることがわかった。しかし、書くべき出来事が見当たらない時はどうしたらいいのだろう。問題は文章の書き方がわからないことではなく、文章を書くための糸口を見つけられないことではないだろうか。

 朝起きて、会社に行き、仕事をし、会社から帰る。最近は家に帰ってからダラっとしていることが多い。とりあえず休憩を取ろうとベッドに身を横たえて、そのまま起き上がれなくなる。一人じゃどうも寂しいから、せめて耳を音で潤してあげようと、YouTube Musicを立ち上げた結果、切りどころが分からなくなる。その間の出来事は、おしなべてサーッと流れていく。後になって残るのは、「ああ、時間が過ぎちゃった」という感覚だけだ。

 今日も僕は同じように困ってしまった。さて何があったのだろう。

 念のため言っておくが、一般論として言えば、今日という日に何かがなければならないということはない。何もなくて構わないし、あったとしても留め損ねて一向に構わない。何もないということを無駄としか解釈できず、何かを取りこぼしてしまうことを勿体ないとしか受け止められないのは、心の狭さの表れだろう。と、実を言うと、これは自分に言い聞かせるように書いているのだが、決して間違ったことを書いているとは思わない。ただ、文章を書くとなると、何もないで済ますわけにはいかない。全くの無から有は生まれようがないのだ。

 途方に暮れたので、メモ帳を引っ張り出して、今日あった出来事を断片的に書き出してみた。メモ帳に1日の振り返りを書き付けるのは久しぶりである。一時期は日課にしていたが、面倒臭くなったのだろう。気付けば、1週間に1回メモ帳を開けば良い方になっている。

 もっとも、メモ帳を引っ張り出したところで、無から有が生まれるはずはない。「書くことが見当たらない」とぼやいたところで筆が止まった。だが、このまま引き下がるのはなんだか悔しい。とりあえず、いつもと違うことを書き出してみることにした。仕事で定型業務以外の作業を1つこなしたこと。そういえば、あれは意外と楽しかった。それから、家に帰る途中で、食堂の中の人の1人とばったり出くわしたこと。呼び止められても暫く気が付かなかったうえ、たぶんこの人だろうとわかってからも薄いリアクションしか返さなかったのは申し訳なかったな。というか、その人には申し訳ないけれど、印象深いというには少々物足りない出来事だった。

 じゃあ印象深かった出来事ってなんだろう。……あ、そうだ、日経電子版で見た次なるコロナワクチンの開発に関する記事。あれはなかなか面白かった。注射タイプではなく、鼻孔に噴霧するタイプのワクチンの治験が外国で始まっているという。痛くないだけでなく、ウイルスの侵入経路に当たる部分で免疫を獲得することで、より高い効果が期待できるらしい。これは今後の動きが気になるところだ。

 ニュースと言えば、『翔んで埼玉』の続編が決まったという話は朝から二度見したものだった。『翔んで埼玉』自体は、埼玉に出張する日、新幹線に乗る前に映画館で観た。とんでもなくバカバカしくて、最高に面白かった。まさか続編が作られるとは思いも寄らなかったが、完成したら観に行くだろう。期待と不安に胸膨らませて観に行くだろう。それにしても、原作者・魔夜峰央さんのコメントがシンプルに面白い。「改めて言うが、正気かお前ら」……まさか、今日一番印象に残っているものって、これ?

 気付いた時にはA5ノートが1ページきっちり埋まっていた。いやはや驚きである。書き出す前は何を書けばいいかわからなかったのに、一度書き出してみれば、ちゃんと書くことが見つかるのだから。というわけで、今日の話はここまで。

(8月11日)